インプットはすぐアウトプットせずに自分の中で長期熟成させる
どうも、思考することが趣味の者です。
朝、早起きしてボケーっと1時間くらい考え事したり、
そういうのが楽しいなーと思う毎日。
この考え事みたいなのって、たぶん日々のちょっとした気づきやインプットが、
ごちゃごちゃと溜まってきて、頭の中で整理整頓されつつ、
自分の生活や考え方なんかと結びついて、
急にスッと1つのテーマでまとまってポンっと出てくる、
みたいな感じな訳です(つまりまさに今この記事みたいなめんどくさい話ね)。
細かくアウトプットする弊害
何かをインプットするたびに細かくアウトプットしちゃうと、
つまり思考がまとまる前にそのまま何も考えずに言葉を発しちゃうと、
思考の元というか燃料というか原料というか、
そういうのが蓄積されない気がするんですが、どうでしょう?
これはSNSが出てきた時からずっと思ってたんだけど、
SNSって細かく大量なアウトプットが即時にできますよね。
気づき・嬉しかったこと・感動・不満・おかしいなと思うこと・やるせなさ・面白話、
そういったちょっとしたことがきっかけになって、あれこれ考えると思うんだけど、
いったん自分の中に溜め込む前に出しちゃうの、もったいないなーと思えてきて。
自分の頭で思考する楽しさが減っちゃうし、
出てくるものが薄いというかなんか人の言葉そのままな感じだし、
考えたのか考えてないのか自分でも分からないというか、
こりゃ細かくアウトプットするのはそんなに良くないのかなーっと、
最初にTwitterが出た頃に自分は思いまして、
いや最初は細かくアウトプットしてたんだけど、途中でやめてしまいました。
(2009年10月からやってるのでその最初の頃の話ね)
で、やめると自分の中にいろんなものが溜まっていくので、
それを元にあれこれ考えるとやっぱり楽しいわけで。
自分との対話。
っていうのを今こうやって結局は書いちゃってるんですけどね。
ある程度の長期熟成をしてまとまったらアウトプットする、っていう感じ。
メモも取らない
ちなみに読書とかでもしっかり読書メモを作る人と読みっぱなしの人いますよね。
自分は完全に読みっぱなしで、すっかり忘れて同じ本を読んじゃったりするくらい、
内容なんてほとんど頭を素通りで覚えていもいない派で。
読書メモあると便利だろうなーと思うんだけど、あれはあれでまた別の頭を使うし、
なかなか大変そうで自分は手が出ない。本当はやりたい気持ちもあるけど。
この話の流れだと読書メモはしない方がいい?ってことになりそうな気もするけど、
面白い本の場合はもう読んでる最中から考え事が始まっちゃうから、
読書メモはあってもなくてもどっちでもいい気がします。
ちなみに奥様はしっかり読書メモを取るので、要所だけ教えてもらえて超助かる!
で、自分はメモ取らない代わりにまあまあ適当にたくさんの本を読むので、
全体は覚えてないけど、要所はたぶんちょっとずつ蓄積されてて、
いろんな本からの細かい要所の蓄積がごちゃごちゃと溜まっていって、
それを思考の原料にしてあれこれ考えたりして楽しむ、という読書の仕方。
というより、読書に限らず、メモを取るという行為をもう何年か前にやめました。
関連記事:メモアプリを使うのをやめました
インプットはすぐアウトプットせずに自分の中で長期熟成させる
そんな感じで細々とインプットされた原料のようなものが熟成して、
生活のいろんな場面でそれぞれが結びついてアウトプットに繋がったり、
仕事もそうだし思考もそうだし、あと遊びのアイデアなんかもそうだし。
いろんな蓄積が長期熟成されて何かに変換されてその場面場面に必要なことが、
ぽん!っと出てくる、みたいなのが楽しいなーっと。
生活自体が楽しくなるひとつの要因はこれだなーっと。
そんなわけで、インプットはすぐアウトプットせずに自分の中で長期熟成させる、
というのは自分に合ってるなーって話。
ま、こんなのは人によるよね。
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