距離を置きたくなった時ほど、あえて近づいてみる
例えば、ここ数年あらゆるところでよく見かけるというか、
「SNS総フォロワー数ウン10万人」とか「月収8桁万円達成」みたいな、
数字を強調した売り文句を目にすることが多いですけど、
まぁ、なんというか、どうにもこうにもアレですよね(相当ボヤかしました)。
正直なところそういうのとはなるだけ関わりたくないな〜、
って思ったりするわけですけど、
でもその一方でしょうがないよな〜と思うところもあったり。
(やっぱり分かりやすいし効果的だからついついね)
で、少なくとも自分が関わらずにいられるくらいの力をつけるには、
どうしてもいったんは関わらないといけないんですよね。
ここに矛盾があるのでなかなか人生というのは難しい、ってなるんだけど。
距離を置きたくなった時ほど、あえて近づいてみる
たとえば「SNSのフォロワー数とかいいね数なんてくだらないぜ!」
なんて言うのは簡単なんだけど、
外から見て雰囲気で反対意見を言ってるだけでは、
その数字の裏にある本質とか素晴らしさとか限界とか大変さとか危うさとか、
きっとわからないままですよね。
自分がそこにちゃんと足を踏み入れてみてからじゃないと、
ほんとのところは見えてこないっていうか。
あ、お金の話とかもそうですよね。
「お金より大事なものがある!」「お金が全てじゃない!」みたいなのも、
本当にそう思えるようになるには、一度ちゃんと稼いでみたり、
大金を使ってみたりしないとわからないこともありますよね。
こんなに頑張って、こんなに稼いで、それでも満たされないことあるんだなー、
みたいなところを通って初めて「お金じゃないよね」って思えたり。
こういうのいっぱいありますよね。
都会暮らしvs田舎暮らしとか、コスパタイパ重視vsていねいな暮らしとか、
いや別にvsである必要はないんだけど、なんとなく対になるやつね。
こういうので距離を置きたいなーって思う方向性があったら、
やっぱり一度はがっつり近づいてみる必要もあるよね、っと。
少なくとも雰囲気をつかむまでは、やれるところまでやってみる。
そのうえで、「やっぱ、ここじゃないな」って思ったら離れる。
そういのがやっぱり必要かな、と思ったり。
なので最近は、どこかに距離を置きたくなったときほど、
あえて近づいてみるようにしています。
やっぱり、どっちも体験してみないと、自分の本音って見えてこないなあ、と。
まとめ
つまり何が言いたいかというと、
特定のジャンルや思想やカテゴリから距離を置くっていうのは、
知らないまま離れるんじゃなくて、多少の知る努力をした上で、
手放すっていう感じ。
そしてその「知る」には、ちょっとだけ深く入り込んでみる必要があって、
好きになる必要はないけど、ちゃんと体験してみる。くらいな。
シンプルに行き着くには複雑を通らないと無理、みたいな感じかな。
ミニマリストになる人は大体みんなマキシマリストを経ている、みたいな。
そのうえで「やっぱり選ばない」と思ったら、距離を置くことを選択すればよくて、
その選択はなんというか、「自由を手に入れた」くらいな、
かなり重要な手順を踏んだというか、
人生の中で大事なポイントを進んだことになるんじゃないかなーっと。
思ったり思わなかったりする今日この頃です。
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