「見てもらえれば分かるはず」の幻想
よくこんな会話を聞きますよね。
「細かい説明はしません。見てもらえれば分かるはずなんで。」
「僕たちの音楽絶対かっこいいんで。聞いてもらえば分かるはずなんで。」
「食べてもらえば分かるんで。」「読んでもらえれば分かるんで。」
そうだろうね、きっとすごいんだろうね。
見なくても、聞かなくても、食べなくても、読まなくても分かるよ。
そんなわけあるかい!
「見てもらえれば分かるはず」の幻想
語ることはダサいと思いがちですよね。まあ実際ダサいんですが。
圧倒的なレベルに達している人は本人が語らなくても、
周りが語るんです。ほっとかないから。
だから勝手に伝わるんですね。
そのレベルに達していなくて周りが全く語ってくれない場合は、
これもう自分で語るしかないですよね。
そうじゃないと伝わらないから。
ここで重要なのは、すごいレベルに達してて全く語らなくても伝わる人だって、
スタートした時点では誰も語ってくれないから、
自分で語ったんじゃないかと言うこと。
恥ずかしいこととかダサいことをいくつか乗り越えた結果が、
やっと語らなくて良いという今の状況なのではないかなと。
そこを見ずに、「語らないことがかっこいい」という、
結果のところだけを見て真似しちゃうと、
おそらく間違っちゃうし、結果は付いてこないよね。
なので、自分で大いに語れば良いじゃん、と思った今日この頃。
オニマガ特製 WordPressテンプレートで
ブログやホームページ始めませんか?
ブログやホームページ始めませんか?
2014-02-26(Update:2021-12-28) by
関連記事
新着記事