自分が自分に許可すれば、他人の許可を求める必要はないよね、って話

今の時代は、やっぱり他人に許可を求める傾向がありますよね。
自分のやることが正しいかどうか?というか、
それ以前の「自分がやりたいことをやっても良いのか?」っていう段階で。

何をやるにしても自分の責任だとすれば(もちろん合法・常識の範囲で)、
自分が自分に許可すれば、他人の許可を求める必要はないはずなんだけど、
なぜか他人がどう思うか?他人に認めてもらえるか?とか、
自分基準じゃなくて、他人基準になっちゃうパターン、あるよねぇ〜っと。

これってなんでかなー?っと、ふと思いまして。

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他人からの「評価」を求めることと、「許可」を求めることは別

人から「いいね!をもらうために必死に何かする」ってのは、
悪いことではないと思うんですよね。映え的なやつとかね。
自分はそういう気があんまりないのでアレだけど、
「評価」を得るために努力してがんばってるなら、むしろ良いことなわけで。
承認欲求を満たすために努力した結果、成長しちゃう、とも言えるわけで。
それも度を超したらまたアレだけど。

今回それとは別の話で、他人の「評価」を求めるじゃなくて、
何か行動を起こすかどうかの段階で他人の「許可」を求める、
というのがどうもこれもったいないなーって話。

みんな(って誰なの?世間とは?って話だけど)が『よし!』と言うことはOKで、
『だめ!』って言うことはNG。みたいな。
それを行動を起こすかどうかの基準にしちゃうって言う話。

やっぱりSNSの影響かな

ほんのちょっと前までは、っていうのはSNS以前はって感じだと思うけど、
今思えば、もうみんなやることなすことめちゃくちゃだったなーっと。
それが良かった面もあれば悪かった面もあるんだけど、
少なくとも、独自性があって、個人は個人の責任で動いてて、
みんな一緒にってのも各自でってのもバランスがよくて。

ところがやっぱりSNS以降は、
誰もが発信者であり受信者であり、評価する側であり評価を受ける側であり、
誰もが批評家であると同時に批評を受ける立場でもある、
なんて時代なわけで。

これは良い面も悪い面もあるとは思うけど、
相互評価社会というか総監視社会というか可視化されすぎ社会というか、
そんな世の中になると、そりゃやっぱり他人基準が加速しちゃうよねーっと。
それで一斉に同じ方向に流れちゃうっていうか。

ちょっと世間から離れてみると、、、

自分の場合は、テレビ見ないし、新聞読まないし、ネットニュース見ないし、
週刊誌も読まないし(通勤がないから中吊り広告すら見る機会ないし)、
SNSはたまに見るのはInstagramだけだし、
会社に行くわけでもないし、人にもそんなに会わないし。

って生活を何年も続けてたら、世の中の流れに全然乗れなくなって、
世間一般とか、最近の常識とか、流行りとか、そういうのが気にならなくなって
(気にならないというより完全に置いてかれているという感じかもしれないけど)、
むしろ逆に今ってそのくらいでちょうどいいのかなーっと、思い始めた最近。

まとめ

「他人に許可してもらわないと自分の人生を自分で決められない」ってことになると、
つまりこれって「他人依存」ってことなので、ちょいとマズい。
世間とか常識とかからは程よい距離感を保つことってやっぱり大事かなと。

最近、この手のテーマに興味があって、関連本を読み漁ってるんだけど、
それがもう何十年も前の本にも同じことが書かれてて、
あぁ、これってやっぱり人類永遠のテーマなのかもなー、
そしてそれがネット時代はグンっと加速しちゃってるのかなーっと。

で、その反動が起き始めてる、、、っていう昨今。歴史の繰り返しは面白いね。

ちなみに今回の話に関係あるのか無いのか、自分の人生を生きたい人に、
ウエイン・W.ダイアーの『自分のための人生』って本はオススメです。
これまでに3回買い直した本。度々マイブームが来るみたい。

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