情報発信の時代が終わって、黙る時代に突入、なのかな

3年くらい前に情報発信の時代はそろそろ終わるのかね、
な〜んていうようなことをブログで書いた気がするけど、
いよいよ終わりが見えてきた感じがしないでもないですね。
それはやっぱりSNSの変化とAIの浸透ですよね。

ここ10年くらい、なんでもない一般人が多くの人に認知されて、
好きなことを発信して好きなことをしてそれが仕事になる、
みたいな世界だったけど、それは基本にやっぱり情報発信があって。

著者「オニマガさん」

この記事を書いた人:オニマガさん

名古屋の散歩案内とシンプルライフなブログ「オニマガ」を、2013年から平日毎日更新中(最高月48万PV)。家族で散歩して写真を撮ってブログを書いて自由にのんびり暮らしてます。中日新聞でも暮らしのコラム「のんびりシティライフ」を月イチ連載中。

情報発信の時代が終わって、黙る時代に突入、なのかな

エンタメとかスポーツとか伝統技術の世界みたいな、
昔から変わらない人間としての特殊な能力がある人は別として、
特技のない普通の人(つまりワタクシのことです)が、
なんかしら人の役に立って、必要とされる、
それがたまたま自分の好きな分野で成り立つ、
みたいな感じだったわけですよね。

「誰もがその人にしかない特技を持ってて、
それが情報発信によって求めてる人とマッチングされて、
なんて素晴らしいことなんだ!自分らしさ万歳!
自由に生きるのって楽しい!」みたいなやつね。

結局のところ、最初に「認知される」ということが必ず必要になるんだけど、
それは「情報発信」が誰にとっても一番簡単で手取り早かった、というわけで。
誰にでも簡単ってことはつまり簡単に置き換わるものなので、
AIに置き換わるのは必然ですよね。

で、認知を得た先には、
その人の意見が聞きたいなーとか、
その人ならではの考え方を知りたいなーとか、
そういう属人性が高いというか、
その人ならではの思考に基づく発信が価値を持つわけですよね。
情報じゃなくて思考の結果。
オピニオン記事とかいうやつ(この辺の話は前にnoteにも書いた気がする)。

まとめると、「認知」→「意見」の順番。
今はSNSのたまたまのバズでこの逆も起こることありそうだけど、
確固たる感じにするには、逆は難しいんじゃないかと。
何度もバズり続けて(つまり認知を得た)から、
存在というか立場が確立される、みたいなことかと。

認知を得るにはSNSが有効だけど、
SNSだけでオピニオンに行くのは難しいのじゃないかなーとか。
ここはブログとか長文テキストとか動画の方が適してる気がします。
なのでどっちも必要というか合わせてやると効果的ってことだけど。

さらに、この先には、狭いジャンルでの「認知」から、
昔からある「ザ・有名人」って枠があると思うけど、そこは特殊。
ファンとか応援者とかそういう関係かな。

昨今のいわゆるインフルエンサー的な人たちは、
たぶんこの順番で進んでいるんだと思うけど、
最初の認知が取れないと、なんとも厳しいですよね。
当たり前ですよね。順番ってのはなかなか抜かせないもので。
逆にさっきも書いた特殊能力を持った人(not一般人)だけが、
この順番を無視できる存在ですね。

なので情報受信はAIで事足りるようになると、
この流れが使えなくなる(難しくなる)ので、
なかなかこれからは大変というか、チャンスタイムの終了は近いなぁ〜っと。

あ、これは発信する側からの見方で
(このブログは発信活動する人やそういう態度の人に向けてる記事が多いので)、
逆からの見方だとAIで効率よく情報受信できるってのは、
単にChatGPTで検索の代わりに〜、なんて話だけじゃなくて、
SNSでも広告でも何でもAIによって興味の範囲をドンピシャに絞り込まれた、
つまりあんまり広がりがない、けど便利すぎて楽しすぎて無駄がなくて、
それの何がいけないのさ?っていう世界で、
それの何がいけない?って思う人と、
どう考えてもダメじゃんって思う人の分断というか、
これは恐ろしいことに世代(育ってきた文化)が確実に影響すると思うし、
どっちが良い悪いじゃないから、またタチが悪いというかね。
一言でいえば的確すぎてあそびとゆとりがない時代みたいな。

ってのが確実に起こってる、と感じるんだけど、
自分の場合は昔から時代を早とちりしがちというか、
ドカン!っと最高潮が訪れる前に興味を失うタイプなので、
もしかしたらまださらにあと2〜3年は大丈夫なのかも。

そんなわけでそんな時代は何やったらいいのか?
これはもう今までと逆ですよね。
発信より黙ることの方が価値が出るというか。
むしろ遊ぶこととか研究とか日常とか生活とか。
発信にしても日記とか体験談とか意見とか、クローズドなものとか。
そういうことに価値が生まれるんじゃないかと。
情報より感情って3年前にブログに書いたけど、
今なら情報より文脈、情報より解釈可能性(余白)、みたいな感じかな。

だからと言ってほんとにクローズド空間(課金とか有料コミュニティ)でやるのは、
個人的にはなかなか興味が湧かないというか、
そうじゃない感もあるので(まさにネット文化勃興期を知ってるが故の葛藤)、
今まさに宙ぶらりんな感じもするけど、
場所はオープンでも内容がクローズドというかね、
つまりこれってあれか、昔のカルチャーとかのコミュニティの感覚っていうか、
分かってる人と分かってる人のハイコンテキストなコミュニケーション、
みたいなクローズド感だけど、でも基本オープンだから誰でもウェルカム、
なんだけどそうは言ってもベースが分かってない人の9割は脱落、
必死で壁を超えた1割くらいの人が、とんでもなく新しい発見ができて、
そこでまた化学反応が起こって全体がハッピーみたいな関係というか、
ある時代的にはイヤ〜な感じがしたあれがまた再び、なのかなー。とか。

ちょっと何書いてるかよく分からなくなってきたけど、
今日はとりあえず書きたいことをノンストップで書き続けてみたらどうなるか、
というわけでこんな感じになってしまっています。

これだけ書いておいて「情報発信するより黙る時代」ってのもアレですが、
いや逆におかしくないというか、つまりこういうことなんですよね。
黙る時代ってのは。今めっちゃ黙ってますよね。
今回の記事には何にも役に立つ情報が入ってないし。困り事も解決しないし。
SEO経由でも読まれないし、たぶんAIにも拾われない。
誰でも読める場所に置いてあるけど、気づく人しか気づかない、みたいな。
黙る=発信しない、では無い、ということね。
(と言いつつ、SNSではもう5〜6年前からほんとに黙ってます)

あ、最近はこれに関連してというか、
大事なことを独立した1つの記事としてわかりやすく書くんじゃなくて、
普通の日記(毎週日曜日に更新してる週刊写真日記)の中だけに、
こっそり書いておくという手法も覚えました。

日記なんてのは困って検索して読みにくるものでもないし、
情報が欲しいと思って読むものでもないし、
見ず知らずで楽しめるものでもないし、
という感じで、普通の集客記事とは反対の考え方で書けるので、
むしろ大事なことを伝わる人にだけ伝えるツールとしても良いのではないか、
という実験。
ちょうど来週で初めて丸1年になる週刊日記!続いた〜!

なんにしても、コツコツとブログやっといて良かった〜(もう12年!)、
と思える日は実はまだこの先にあるのじゃないかという気もしてきました。
とっくに終わったブームが形を変えてまた命を吹き返すってのは、
いつもこんな感覚。
いや、そうなるといいなーと思いながら、まあならなくてもいいんだけど、
楽しく続けてたらそれでもうOKなわけなので。
でも終わったと思ったやつが実は今まさに的なね、面白いですね歴史は(繰り返す)。

ただ、これすごく近未来の話で、すぐその先には全く別の展開になりそう。
AIの進化の速さが予想外だから、そりゃそうなるわってことになりそうだけど、
まあ過渡期の揺らぎの時代ってのがやっぱりね、考えるの面白いからね。

だいたいこれで3000文字。
長文読むの早い人は5分もかからず読めるけど、
長文読むの苦手な人は10分はかかる文字数。
そして10分間も脱落せずに内容を理解しながら読みつづけるはかなり難しく、
それができるならもっと早く読めてしまうわけで、
結果、長文読むのが苦手な人は多分最後まで読めない。
という感じでオープンなんだけど結果クローズドになっちゃう、というのもありますね。
つまりダラダラと長く書けば書くほど、黙ったことになる(読まれない)、という、
本来なら文章作成のデメリットを逆に活かしてしまう、
時代が転換するんだからデメリットをメリットに転換することもできる、
んじゃないかなーとか思ったり思わなかったりする今日この頃。

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Update:2025-12-10) by
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